Chapter.1

2001年/6/3「追記」
はじめに・・・:このページを作ったのは1996年当時です。
2001年このページのエピソードの主役である登叔父の奥様、綾子叔母が逝ってしまいました。悲しいです。
海の無い埼玉で育った僕ら兄弟(3人)に本当の海を教えてくれた綾子叔母。
そして水谷家では一番独立心の強かった登叔父。
小さな僕らはその叔父叔母の大きさ(心・体全て)にあこがれを感じていました。
登叔父さん綾子叔母の分まで長生きしてください。
またバイクに乗りましょう!!綾子叔母さんの待つ所まで・・・・!


オートバイと付き合って一体何年になるのだろう。

初めてのバイクは

幼い頃、叔父(登)に乗せてもらった、

CABTONだった。

あの音と突き上げる様なトルクは今でも鮮明に心に残っている。

当時小生の叔父は自衛隊の群馬の駐屯地にいたと思う。

外出が許されると

決まって横須賀の彼女(今の小生の叔母綾子)の所に通ったという。

その途中に小生の家に寄り

幼い小生をタンクに乗せてくれた。

その頃はまだ勿論ノウヘルだったのだが叔父は

ちゃんと OWEN'SのHALF HELMETを被っていた。

カミナリ族全盛の頃

その人達を追い抜いていったそうだ。

そんなこんなで16歳を待たずしてバイクにのめり込んだ。

そして15歳の冬悪友のHONDAの鯨タンクを借り走っていた。

ある日、いつものように鯨タンクで走っていると

小生の前にクラウンのパトカーが!

あわてた小生、パトカーの目の前で転けてしまった。

パトカーは当然止まり、

警官が降りて来てバイクを立て直してくれた。

その後の顛末は貴殿なら解って頂けるでしょう。

1年間免許を取れず17歳にしてはれて自動2輪を取得した。

●左はばらしたフレーム。
僕の娘はバイクの骨と言っていた。

●右はとりあえず綺麗になったので
エンジンを載せてみた場面。

5年間かけRESTOREしたDUCATI BRONCO 125


参考図書
八重洲出版「国産モーターサイクル史」

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